場所
成り立ち
①徳島県人が調査、入地(仁木町の名前の由来、藍の栽培技術を持ち込む)
②山口県人が入地(大江地区が出来ていく)
③りんご、稲作をそれぞれの地区で栽培する
④鉱山の採掘開始(果樹の人手としても活躍)
⑤兵庫県人が入地(銀山地区ができ、柳行李を生産)
⑥藍の栽培が化学染料に押されて衰退
⑦さくらんぼは明治から植えられ、昭和後期から全国区へ
⑧元衆議院議員島本虎三氏が町長就任
⑨半農半工の職人集団アリスファームが岐阜県→仁木へ移住
仁木町の成り立ちは、明治8年(1875年)に徳島県人の仁木竹吉が道内調査をした事から始まります。その後、明治12年(1879年)11月に、仁木竹吉が徳島県阿波国から101戸、361名を率いて海路により小樽港に上陸、余市町を経て仁木村へ入植しています。この仁木竹吉氏が中心となって開拓したことから、名字を頂いて「仁木村、仁木町」と名付けられています。
仁木町は、大きく分けて3つのエリアからなるまちです。北側にあたるエリアが「仁木地区」、中央部が「大江地区」、南側に「銀山地区」となります。明治14年(1881年)には、山口県人である粟屋貞一氏が大江に開拓準備のため移住し、翌年に山口県より19戸95人が第一次移民として入地しています。山口県人の粟屋氏は、長州藩主である毛利元就氏より命じられ、廃藩置県による藩士の救済措置として北海道を開拓した、との事。大江神社には、毛利氏の家紋が残されていることからも、長州藩(山口県)との繋がりを感じさせます。
明治15年(1882年)ごろ、仁木村でりんごの栽培がはじまります。仁木村の南側にある大江村では、稲作がはじまったのもこの頃だそうです。ちなみに、現在の仁木地区(昔の仁木村)でも、りんごをはじめとした果樹の栽培が行われており、大江地区(昔の大江村)でも稲作は現在もさかん。そして、お隣の余市町ではどうかというと、りんごは明治8年(1875年)に開拓使がアメリカ(北海道での農業はアメリカをモデルとしていた)から苗木を取り寄せ、植えはじめていますので、余市町が先に果樹を試していったようです。余市町でのりんごの初の結実は1879年ですから、その様子をみて仁木村でも開始した、と思われます。
明治23年(1890年)、然別鉱山での採掘に着手を開始。この鉱山に人手が多く生まれたことから、休みの期間や奥様の人手が仁木町での果樹の収穫に貢献していた、との事です。
明治27年(1894年)、兵庫県人、山川瀧五郎氏が馬群別(現在の銀山地区)の開墾に着手し、開墾およびこうり柳の栽培、柳行李の製作を目的として移住民を募集しました。さらには、明治29年(1896年)に東京府民の元木孫市氏などが銀山より東側の長澤を開墾、愛媛県人久保勘二郎氏などが尾根内を開墾。
明治30年(1897年)頃になると、ドイツの化学染料によって藍の需要が押され、藍の栽培が衰退していきます。仁木では、りんごと稲作を中心に据え、藍を育てていた地を水田へと転作したようです。
現在も産業の中心となっているサクランボは、明治より木を植えられていたものの、地元での消費しか行われていなかったようですが、質の高さが認められ、昭和後期より道外都市部など各地へ販売を行うようになったそうです。
1979年、日本社会党(当時)の元衆議院議員であった島本虎三氏が仁木町町長となります。国会議員が町長へと転身する事は珍しく、現在のフルーツ街道の開発や若者の職人集団であるアリスファームを岐阜県からの移住を受け入れる(現在は隣の赤井川村で運営中)など、様々な発展に貢献しています。島本氏は二期8年町長を務めています。
主な産業
町に占める農地の割合は10%程ですが、農業がさかんです。
現在の主力となる作物はミニトマト。さくらんぼ、ぶどう(生食用)、ブルーベリー、プルーンが主に生産されています。
新規就農者も増加してきており、ミニトマト、ワイン用ぶどうの生産を行う為に仁木町へ移住される方が増えてきています。
経済圏
仁木町内にスーパーマーケットはなく、普段の買い物は隣の余市町(イオン、CO-OP、ホーマック)で済ます方が多いです。
小樽までは30km 、札幌までの距離も60km程度であり、クルマで生活する方にとっては問題なく生活できるエリアとなります。
JRを利用する場合、各駅停車のみの運行である為、少し不便かもしれません。しかし、仁木町内には「仁木駅」「然別駅」「銀山駅」と3つの駅があり、電車での移動もさほど難しくはありません。
コンビニは、仁木町の中心部にセブンイレブン、セイコーマートが各一軒ずつあります。銀山地区、大江地区で生活する場合、少し不便を感じることもあるでしょう。
インターネット回線事情では、仁木地区は光ファイバーが契約可能。大江、銀山ではADSLのみとなります。
Wimaxの電波でも同様に考えて頂けるとよいです。
まちの未来への方向性
現在、仁木町では「余市・仁木ワインツーリズム」というプロジェクトが進行中。2017年に仁木町でもワイン特区を取得しており、醸造量の上限が低くなりました。
農業では、生食用ぶどうなどの生産者が高齢化しており、徐々に減少しています。現在では、さくらんぼやりんごの木を伐採し、ミニトマトやワイン用ぶどうへと転作している生産者も少しずつ増えてきているようです。
住宅事情
仁木町で家を探す場合、通常の賃貸住宅は潤沢ではありません。転居の場合、以下へお問い合わせ頂くと良いでしょう。
・JA新おたる
・仁木町役場企画課未来創生係(移住相談)
また、市町村を越えて空き家の物件化を行うしりべし空き家BANKにも仁木町の物件が売買・賃貸でアップされる事もありますので、こちらもご覧下さい。
・しりべし空き家BANK
土地事情
農地を買いたい!という場合は、以下をご覧いただき、窓口へご相談頂くと良いです。また、移住を伴う相談であれば、弊社でも可能な限り対応させていただきます。
・JA新おたる
・仁木町役場ウェブサイト