どうもこんにちは、しゅんみやと申します。
私は、サッカーが好きです。最近はフットサルこそ参加できていませんが、観る専門になりつつあります。ちなみに、川崎市にいた時にはフロンターレ、新潟市にいた時はアルビレックス、北海道に戻ってきてからはコンサドーレを応援するような人間です。
このようなサポーター心というのは、浮気性のように受け取られてしまうかもしれませんが、正直に言っておきたい。自分がいる場所が、ホームタウンだから、その街のサッカーチームを応援したいと考えます。
だからこそ、「地元」と「今いる場所」をそれぞれ好きでいる事が重要じゃない?ということで、会社名にもホームタウンという言葉を用いています。
さて、今回記事を書こうと思ったことは、サッカーに関して。
サッカー日本代表の監督、ハリルホジッチが解任されました。コミュニケーションに関する問題、選手からの要望、などが理由だとされています。この解任劇をみて、監督の想いと選手が感じる印象は、織田信長の明智光秀との関係にも似ているなあ、とふと思ったのです。
織田信長の部下との接し方(一般論)
実際の歴史はさておき、一般論としての歴史では、
・織田信長は明智光秀に厳しくあたっていた
・しかし織田信長は明智光秀を部下として信頼していた
・本能寺の変により明智光秀は織田信長を追い込んだ
と、すごーく簡単に要約するとこの三行で表現できます。(笑)
織田信長は、信頼している人間、育てたいと思っていた人材である明智光秀をしっかりと教育したかったのでは?という想定が生まれますが、きつく当たるとクーデターを起こされてしまう。そんな教訓のように、この歴史は語られてきています。
それを反対に捉えると、織田信長は、信頼していない人間には、優しく接していた。別にどうでもいい人材なので、しっかり教育をする必要がない。という教訓にもとれる。
スパルタには愛があるよ!というパワハラ称賛な訳ではないので、誤解しないで頂きたい。とはいいつつも、私は中学生の頃の学習塾に通っていたとき、厳しい講師のもとで教わった科目は受験時にほぼ満点で、優しい講師に教わった科目はさほど点数は良くなかった。これは怖いから勉強したという事よりも、悔しくて勉強した、という結果なのかもしれないです。
まあ、私個人に関しては厳しい環境下のほうが、限界突破できる気がして好きなんだろうな、と思います。敵をつくってしまう事の方が、このやろう!と奮起できますし。
ハリルホジッチの選手との接し方
こちら、今回のハリルホジッチ監督に関する情報。
・自身が決めたスタイルを時間かけてじっくり説明する
・すべて正直に、ストレートに話す
・ルール、規律、練習をモットーとする
・選手との信頼関係を理由に解任された
長谷部誠選手によると、「いままで20~30人の監督と接してきたが、ミーティングがいちばん長い」とのこと。時間短縮も求めていたほどだそうです。
解任された理由は、選手との信頼関係とのことだそうですが、スポンサーの話(背番号10番の選手は必ず出場させる事、とか...)は今までも噂されており、その話は一旦ここでは止めておきます。
ハリルホジッチは、なにも「自分が好きだから」やりたいチームプレイのスタイルを貫いた訳ではなさそうです。しっかり視察も研究もしているので、現状の日本人にできるスタイルを提案しているはず。なのに、解任された。選手たちのクーデターが起きた、という現象です。
日本には厳しい教育がもう合わない?
監督に、完璧さを求めることが多いな、と感じています。時には厳しく、時には優しく、のような。
均一性を求めているというか、全てを人より超越した状態で監督をやれ、という感じが出てきている気がします。
現状のやり方じゃ無理で、ぶちあげたいんだ!という場合は、普通にやる人たちの数倍、歪みを感じてクリアしていかなきゃならない。日本のサッカーでいえば、ランキングは60位です。普通にやっていると、全敗でしかないはずなのに、選手が言えることって、どれほどなんでしょうね。
叶えたいものに向かって、冷静にひた向きに、実現の為に進めていくような、厳しい教育(暴力とかは無しでね)って、もう日本には合わないんだなあ、と。ハリルホジッチは、その厳しい教育方法だったんだな、と感じます。
じゃあ、今後は?
上で書いたように、厳しく接する、「ユルさ」なんてない、という教育は現代には即さないということがわかります。
では、どのように今後、教育者や監督は接して欲しいと生徒や選手に思われているのか。逆説でいけばいいので、単純です。
・叶えたいものに対して無理だと思っても、言わない
・正直に言わない(笑顔でうんうん、と)
・ルールは自主性に任せる
・育てたいと思った相手を甘やかす
・「君が自分で考えてやったことだよね」と笑顔で接し、責任は取らない(取るのがベストだけど)
これが、現代の教育法である、ということです。
少しふざけて書いてみましたが、あながち間違っていないなと(笑)。この教育方法じゃダメだよ!って思っている人は現代っ子の事を理解していないようです。
サッカーの話で例をいうと、コンサドーレ札幌の監督に2018年から就任したミシャことミハイロ・ペトロヴィッチは、広島や浦和を強いチームに育てた名監督です。彼がコンサドーレに就任して発した言葉は、
私が監督をしていて、いつもラッキーなのは、いい選手がいるということだ。札幌には、非常に選手層の厚いチームがある。どのチームを率いても、指導していく中で「札幌は、いい選手がいるよね」と言われるようになるのが、私の監督としての宿命かも知れない。浦和の時もそうでしたし、どのチームを率いても「あなたのチームはたくさん選手がいますね」と言われるものだ。
(こちらより引用https://www.nikkansports.com/soccer/news/201804140000792.html)
コンサドーレは、J1に上がってもすぐに落ちてしまう時代を過ごしてきて、J2からJ1に上がるときに良い選手を移籍によって奪われてしまうチームでもあります。2018年から変化させるように、資金も増やし、頑張っているチームではありますが、有名な選手が勢揃いのチームではありません。上の言葉を読んで、所属選手のモチベーションはゲキ上がりだと思いませんか。
以上、クーデターを通して考えるコーチ論の想定でした。ある意味育てるのをあきらめれば、人は育つみたいですよ!(笑)