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北海道に仕事はあるか?札幌一極集中に関して調べてみる

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北海道は、札幌一極集中なのです。そして、その他の市町村に関して消滅可能性は78%、という衝撃な数字がでてしまっています。

全国で東京に集まる仕組みと一緒で、より高い収入、よりスキルを活かす為には、都市へ行かなきゃ仕事が無い、という状態。

これは問題ですね、というのが現在。「問題だから、解決しよう!」という前に、そもそも問題なのか?というところから探ってみます。

藩ごとによる開拓

北海道、という中だけでの一極集中を考えていきます。北海道は、ロシアによる脅威に対抗するため、開拓使が置かれます。臨時の地方行政機関、という位置づけだそうです。開拓使は人や役職ではなくて、「開発局」ぐらいの意味合いの言葉だったのですね。(知らなかった...日本史知らず恥ずかしや)

また、北海道の様々な地を全国各地の藩で分けられ、開拓されていきました。これが1869年、明治2年のことです。様々な藩で分けて与えられた、というのは、明治政府としては資金的にも人員的にも不足している時期でもあり、政府での一括した開拓は無理だ、と考えたからだそうで。開拓には以下のルールがありました。

  1. 百姓、町人など差別なく自由に移住させる
  2. 既存住民とアイヌを差別しない
  3. 政府から経費は一切出さない
  4. 政事と刑賞との大事、隣接地との関係事項については伺いを立てる
  5. 課税は自由だが、移出入の運上金は別

うーむ、なるほど。政府から土地を管理して良い、という許可はもらったけど、お金はくれなかったんですね。

北海道は、この明治2年より前に松前藩や函館という道南エリアや、日本海沿岸には本州から移住して人は住んでいました。アイヌは、それよりずっと前に生活していました。差別はしないこと、というルールを設けていたようです。

しかし、これがあまりうまく進まない。寒すぎる、遠すぎる、という事で断念した場所も多かったそうで。1871年(明治4年)に分領支配の制度は廃止されます。

(ウェブから転載。1869年当時の領地図)

移民政策

おいおい、まだ歴史の話が続くのかよ、と言われそうですが、北海道の歴史を知らないと、現在に至るところまで辿り着かないので、粛々と。

開拓使による最初の移民政策は、政府募集の移民を送り込んで定住させるというものであった。また、新規移民に米、銭、農具などを与える移民扶助の規定を設けた。だが掛かる費用に対し効果が薄かったため、明治5年(1872年)には募集や新規移民優遇をやめ、既に定着した移民への援助に切り替えた。(wikipediaより)

北海道には石炭や森林など、豊富な資源がほぼ未開発の状態のままで残されており、こうした資源の存在は、「富国強兵」のスローガンを掲げ近代化を急ごうとする新政府にとって魅力的なものであった。(転載:http://heartland.geocities.jp/sekakumo/ronbun200702_02)

現在の移住対策として、北海道ではお米食べ放題などの政策を行う自治体もありますので、近い事が150年前にも行われていた、という事です。そして、この政策は1869年からスタートしているので、およそ3年間で締め切り。移住対策の後は、住み始めた人たちに対して援助をしていった。ただ、自費での移住も相当多かったようです。

また、資源は本州に比べ、山ほどあった。これをロシアには取られたくない、という気持ちもあったようです。炭鉱などの歴史があるのは、そういう事なのですね。森林もいまや針葉樹ばかりだな、と感じるのも伐採して植林した後であった、ということなのですか。

そして、明治初期の移民政策の中では、大きく分けて3つあり、

①幕末維新動乱後の士族移民

②屯田兵

③士族の再就職としての移民

全体として、明治維新以降は、武士の仕事が無くなります。①が北海道に早く移住した人、②が兵士かつ農作業として移住した人、③が潤沢にお金があった藩から補助を受けて移住した人、この3つに分けられる、という事です。北海道に明治に移住した人は、基本的には士族の人たちの移住なのですね(これも知りませんでした...)。

明治中期には、農民の移住が増えていきます。水害による影響で農業ができなくなった人が新天地を求めて北海道へ移住、またはデフレにより農作物の価格低下が発生し、都市部の工場か北海道や海外への移住かという選択を迫られたり。

ちなみに、藩ごとの分領以外の③での再就職対策以降、徳島県より西側の移住者は少ないようです。中国地方や九州地方の移住者は、ほぼいません。どこへ行ったのかというと、南米やハワイ。ここは詳しく調べず憶測で話しますが、分領支配の時期に視察した人や住んでみた人たちが「あそこは寒くてやってられん」と伝えたんでしょうか。

なかなか全てを説明するのは難しいので、歴史に関しては、詳しくは以下のリンクでご覧ください。

http://heartland.geocities.jp/sekakumo/ronbun200702_02

北海道民は、どんな性格を持つか

ここまで書いたのが、北海道の明治ごろの歴史。大正、昭和に入ってからも、北海道には様々な事柄があります。しかし、明治あたりでの移住者が地域を開拓し始めた、というのがベースになるのではないか、と。生活や文化は、明治でおおよそ作り上げられているはずです。

性格は、開拓で与えられたそれぞれの地で異なるようになるはずです。また、移住者の大多数は東北・北陸地方ですが、徳島県(藍の生産地であったため、開拓使のキーともされ、移住が進んだ)や岐阜県(水害や地震の影響)からの移住も少なくない。ケンカはしないまでも、考え方の違いで合わない事もあったはず。

隣町と、一緒にやらない事は多くあるのが、北海道でもあります。212市町村が平成の大合併で179市町村にしか減らなかったのも、北海道。そもそもの性格が違うので、それぞれの町の人たちの考え方がある。また、団体移住によって集落を結成した地も多くあり、その集落で意欲を高めていたともいえます。

何もないところにフロンティアスピリッツにより、道をつくる。木を伐って、切り株を掘り起こして農地にする。相当大変な思いをして、努力し続けたのが、たった150年間の話。この努力を知らずに育ったのが、私たちの世代です。世代で考えれば、30代であれば、4代ほど。

親心から考えて、「もっと便利なところへ行き、辛い思いをしないように」というのが普通、というもの。さらには、全国的に戦後からお見合い結婚が減り、恋愛結婚が増えたということからも、自由な雰囲気が生まれていった。「ここで生まれたから、ここに住まなければいけない」という事も少なくなっていきました。

仕事の変化

北海道のなかでも、仕事の変化、というものがありました。基本は農業であった時代から、工場で働く、炭鉱で働く、建設業で働く、という仕事が増えていきます。

工場で働く、つまり、工場は流通が整った場所にある為、今でいう都市部や港町につくられています。この工場で勤めるため、北海道内でも移住をします。

炭鉱で働く。これは、1879年の官営(政府が運営)の炭鉱が生まれたことをはじめ、1910年代にも財閥による炭鉱の開発が進みました。炭鉱は多くの作業員を必要とする為、北海道内のみならず、全国から人が集まっていきます。

建設業で働く。北海道は1950年に北海道開発法という国家プロジェクトにより、インフラが急激に整えられていきます。1972年の札幌オリンピックの為にインフラを整備するという仕事も多く、上の炭鉱で働いていた人も札幌に仕事を求めて移動し始めます。

この三つの仕事。ある意味、上から順番に時系列でもあり、仕事が変化していきます。札幌の人口が急増したのは、炭鉱が閉山し、割と近い距離の札幌へ、炭鉱で働いていた大勢の人が移動していったのです。

エネルギー革命

エネルギー革命は、1960年代。石炭から石油へと変化し、炭鉱で働く人は仕事を失い、石炭を運ぶ港の仕事をしていた人も仕事を失います。港は、小樽市が代表的です。大きな動きとともに、人数を必要とした仕事が、時が経つにつれて場所を移動していきます。これが、北海道の歴史です。

長い間、生産地として発展してきた北海道。それを運ぶ為に、建設業も発展していきました。この工場、炭鉱、建設業の中枢はどこにあるか。東京などの都心です。札幌市に置く企業もありますが、最大の消費地となる都心へ中枢を置いていた企業が多いはずです。

中枢に必要とされる人材は、どこへ行くか。札幌市か、東京ということになります。

ある種、必然な一極集中

都心に集まる。それは、必然なことなのかもしれません。その他は、生産地として存在している。中央集権としての考え方が、ある意味成功したということなのでしょうか。

歴史があった場所は、観光で訪れる地となる。ただし、観光が得意な人が、現地にはあまりいない。Uターンであれば、可能性は見えてくるかもしれません。

地方には、仕事がない。しかし、生産して都市で売る、という事が自然とできるような方であれば、可能になります。または、都市に住む人に情報を届けることも、仕事として生まれるかもしれません。通常の就職先を探すような方にとっては、なかなか難しいのが地方です。

あなたも地方移住を考えるなら、求められている事を自然にできるか。それが鍵となるかもしれません。

 

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しゅんみや(宮嶋瞬)

関東から北海道へUターン。ホムデ代表理事、北海道ワカモノ会議 発起人、NISEKO.CITY 主宰。北海道に対する偏った愛情により、「ホームタウン(故郷や移住先)を愛してほしい」という想いで活動している。北海道への移住対応(空き家情報提供・自治体とのコラボ・仕事づくり・起業を応援)やマッチングなどを幅広く行い、自治体との協働事業なども実施。

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